こんにちは、shuheiです。
PBP走行記、ついに最終回です。
それではよろしくお願いします。
鳴らない電話
時刻は1:40。セットしたアラームがいつの間にか止まっていました。
ジャージのバックポケットに入れてバイブレーションに気づける配慮をしたつもりが、どうやら寝返りを打った際にロック画面に表示される停止ボタンを押して止めてしまったようです。
起床予定時刻は2:15。およそ30分早く目が覚めてしまったらしい。危なかった!とは当時思いませんでした。なんだよ、もっと寝れたのになんて呑気な事を考えながら外の様子を見て、雨が降っていないことを確認し、寝る前に丁寧に用意した防水系ウェアをサドルバッグにしまいます。
腹ごしらえのためにクタクタのパスタを食べながら事態の深刻さに気付いたのです。
「これ、寝坊する世界線あったのでは?」
PBP完走を阻む罠はたくさんありました。シンプルな走力不足、計画不足、寝不足、栄養不足、メカトラ、荒天、冷え、財布や自転車の盗難など。
あらゆる対策をしてこのPBPに臨みましたが寝坊のリスクだけは対策が限られる上、ブルベでない平時ですら発生するくらい頻度の高いリスク。
寝坊が原因で時間外完走となった事例はPBPに限らずあったため非常に恐れていました。
まさか、最終休息地でやらかすとは。
気づいてからは不測の事態がより一層怖くなってしまい、3時出発の予定でしたが20分ほど繰り上げてモルターニュを出発しました。
Stage10 最終コントロールへ
残すところ120km、Garminは既に1100kmを記録しています。制限時間まで残り10時間。ここまで来たら落としたくありません。
最終コントロールのドルーまでは77km。普段なら無補給で届く距離ですが、疲労も未知の領域であった為、40km先のSenonches(スノンシュ)という町を目標にして暗闇の中を進むことに。
ここからはもう厳しい登りはほとんどありませんでした。ただただ淡々と、なるべく一定の出力を維持して進むだけ。これまでもそうでしたがここからも一緒です。
事前に決めたことを決めた通りにこなす、人によってはつまらない態度だと思われるかもしれませんが、僕程度の走力ではこの走り方が精一杯です。
ただただ淡々と。徐々にパリとの距離を縮める。
しかし、先ほどのモルターニュでの仮眠が不十分だったのか、5日目となり疲労も限界に近いのか、4日目以上に睡魔が襲い掛かります。
5分程度道端で座り込んで目をつぶるくらいでは全然回復できませんでした。
時間的には幾分か余裕がある。
ここで15分、完全防水で10度までならこれだけで寝れるSOLのエスケーププロヴィヴィにくるまってガッツリ仮眠することにしました。
はっきり言ってモルターニュの食堂より寝心地いいです芝生だし。
今度はキッチリiPhoneのアラームで目が覚めました。少し寒さを感じたので常に所持していたウルトラライトダウンを着て荷物をまとめました。最後にダウンを脱いで体温が戻ったことを確認し出発。
ただ、それでも完全復活には程遠くさっきほどではないにしろ眠気でフラフラしながら走っていると、昨日と同じように日本からの参加者の方に声をかけて貰いました!
AJジャージすごい。これ着てなかったら本当に完走できてなかったと思う。
話を聞くとHグループとのことでMグループの僕より1時間半制限時間が早い。この時点で残り100km、7時間半ほど。SRを取ってこの場に立っている方々なら普段は余裕のタイムであってもここまで1120km走ってきて、ほとんどの人が睡眠不足で、もう一つコントロールがあってそこで最低でも20分はロスしてしまうことを考えると、諦めるほどではないがギリギリの戦いのようでした。
もちろん闘志は残っていて全然諦める気なんてなさそうでした。
共闘といこうじゃないか。
アップダウン続きだったPBPも緩やかな道になっていました。30km/h近い速度を維持しながらお互い集中力を切らさないように励まし合って走ります。本当にこの人に出会えて良かった。
この集中力のままドルーまで行けそうだ。
しかし先ほどのモルターニュでの出来事が頭をよぎりました。ここで予定外のことをして何か不測の事態が起きたら残距離的にも、残時間的にも取り返しがつかない。
「僕は予定通りここで休みます。ごめんなさい。」
「はい!お気をつけて!」
そのお方は明るく返してくださいました。
後々ちゃんと時間内完走されていることを知って今は安堵しています。
私設エイドSenonches 1144km 8/24 5:43
勝手に中継地にしていたスノンシュで運良く私設エイドを見つけました。あたりはまだ真っ暗、早朝だというのにスープと飲み物を振る舞ってくださって本当に感謝です。有料だったかな?ちょっと思い出せませんがここで補給できたのは本当に大きかったです。
少し温まってリスタート。
ここからはまた単独走でドルーまで残り35kmを走ります。おそらくこのペースなら予定していた8時よりだいぶ早く着けるはず、と思ったのも束の間。
単独だとやはりどんどん眠たくなってしまいます。
そこへ少し速めのトレインがやってきました。おそらく平坦で35km/hくらい、登りでもほとんど30km/hを下回らないマレーシアのチームが主体となった10人ほどのトレイン。
残り100kmを切っていたこともあり体と脳に喝を入れる目的で自分の足よりかなり速いこのトレインに乗ることにしました。
辺りは少しずつ明るくなり始め、フランスの地でPBP最後の夜が明けます。
このトレインについて行くのは結構しんどい、心拍もおそらく常に160を超えていそうですが、眠気はかなり抑えられています。
あくびをしながら疲労も睡眠不足を隠して、超高速パックにくらいつきます。平坦はなんとかなるけど登り坂がキツい。ルデアック以西の7〜8%の激坂じゃないけど1100kmを走って3〜4%の坂を30km/hで駆け上がるのは万年富士ヒルブルーリングの自分には無茶が過ぎる。
とうとうこれ以上ついて行かれなくなり、30分ほど粘ったトレインを抜けました。またフッと眠気がやってきます。だいぶ巻いたしまた道端で寝ようかな、なんて考えていた時、後ろから「いやー、外国の選手は速いですねー」と声が!
PBPの神がいるとしたら、今回僕は導かれていたのかもしれない。自分の力ではどうにもできない時、あの時もあの時もあの時も、そして今も、奇跡が起きている。
「速いですねー、頑張ってついてきましたがとうとう千切れちゃいました」
このPBP中で唯一お名前を伺うことができたこの方はさかきさん。PBP完走経験のある超ベテランランドナーだ。
このまま走っていたら眠気でどうしようもなくなっていたこと、ブレストで足を痛めてここまで来られたこと、飛行機輪行でチェーンリングがズタボロになってしまったこと、PBPやブルベの昔話、同じくGR IIIを持参されてたこと!
色んな話をさせていただきました。
今だからこそ言えますが、ここまでの5日間で初めて完走が見えた瞬間でした。
Dreux 1179km 8/24 7:45
ゴール前、最後のコントロール、Dreux(ドルー)に到着しました。残り45kmを確実に走り切る為に最後の食事をレストランで摂り、リスタート。
「このままゴールまでご一緒させてもらえないでしょうか?」
さかきさんにお願いし、一緒に走ってもらえる事になりました。眠気はある程度引いていましたがまだゴールまで2時間以上あり、単独走では不安がありました。
何より誰かとPBPを一緒に走れることが楽しくなっていました。
ここからランブイエまではPBP中、最もアップダウンの少ない区間。もはや速度も上げず淡々と20〜25km/hで走ります。
最後の区間で楽しそうにかっ飛ばす集団もいましたが、ここで無理に急いで30分早く到着しても意味はないし、怪我でもしたら元も子もありません。
怪我はともかく、パンクなど小さなトラブルもここまで来たら避けたい気持ちでした。
ドルーを出て30分ほど経ったのちに軽く雨が降りましたが、走行にはほとんど影響ありませんでした。当然レインウェアの出番もありませんでした。昨日までの雨予報は一体……。
どうせなら最後ずぶ濡れでゴールもアリだななんて思っていましたが、そんなことにはならなそうです。
いつの間にか木が生い茂って、森の中を走っていました。
さかきさんとこれはウイニングランですねなんて話しながら、それでもなるべくゴールを意識しないように努めていましたが、ここはランブイエの森。
まもなく左手に石垣が見えて、カーブを曲がった先に数メートルの石畳ののち、公園への入り口が見えてきました。
旅の終わり
緑色のゲートと記録センサー。
ここがゴールゲート。
でも観客はこの先200mほど先のピンク色のゲートにいるようでした。
早く辿り着きたい気持ちで前のめりで漕いでしまい、さかきさんの「ゴールゲートの写真が撮りたい」の声を聞き逃してしまいました。
せっかく60km近くご一緒できたのにゴールゲートを一緒にくぐれないという失礼をやらかす。これを最後にさかきさんとはフランスの地で再会は果たせませんでした。
白く長い砂利道。
沿道からたくさんの声をもらった。
ピンク色のゲートが近づいてくる。
ここが、旅の終わり。
1224.72km、87時間43分31秒。
Pairs-Brest-Pairs Randonner 2023。時間内認定完走達成。