PBPを完走する技術(Episode. 0)

こんにちは、shuheiです。

ずっと夢見ていたパリブレストパリランドヌール2023。1200km90時間という制限時間内での完走は自転車乗りとして最高の目標のひとつでした。

それでは本日もよろしくお願いします。

Paris-Brest-Paris Randonner2023

2023年8月、4年に一度のブルベの祭典パリブレストパリランドヌール2023、通称PBPが開催されました。

前回大会2019年からコロナ禍を経て、第20回大会は8/20〜8/24で開催されました。

 

プロローグ

8/18早朝、羽田空港付近のホテルで目覚めました。喉にはまだ違和感が残っており、鎮痛剤とのど飴ともちろんマスクが手放せない体となっていました。

8/11金曜日、三連休の初日に発熱。翌12日土曜PCR検査をし、14日月曜、発熱から3日が経ち新型コロナウイルス感染が発覚しました。

38度を超える高熱、わずかに漏れる咳を必死で抑えながら小さな希望にすがりつくように出国準備を進めていました。

 

元々12日土曜に予定していた自転車の最終メンテナンスとパッキングをようやく平熱に戻った16日水曜に後ろ倒し、17日木曜日の夜都内の自宅を出発。この時点で不安はありましたがもう後には引けない気持ちがありました。

ブルベはメンタルを守る戦いだ。悪い方に考えても意味はない。

2度のDNF、3度目の正直

2022年冬、主要都市では新型コロナウイルスまん延防止等重点措置を繰り返す中、ランドヌ東京主催の200kmブルベがN2BRMとして開催されました。

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2022 BRM110東京200、そして2022 BRM313東京200花園(まん延防止等重点措置により同年7月に延期)ことごとくDNFでした。

しかし200kmブルベをどうしても諦めきれず、コロナ禍で1年延期した2021年に開催するはずだった200km100周年のブルベに参加するため、宮城に飛びます(新幹線だったけど)。

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3度目の出走にして初めて200kmブルベを時間内完走することができました。

 

この時、無謀にもこんなことを願ったのです。

「来年のPBP、チャンスがあるなら出てみたい」

 

そして、そのまま2022 BRM1008東京600奥日光にエントリーし出走を決めました。

初の600km

この頃R東京主催のブルベは全てN2BRMで、出走日も出走時間もある程度参加者が自由に選ぶことができました。その代わり、他の参加者に会うこともほとんどない、孤独な戦いとなったのです。

ルートミスや補給のミス、休憩のミス、仮眠も1時間、今まで起きたことのないメカトラなど散々な思いをして、それでも奇跡的に全ルート追い風、取り返しのつかないミスはない。全てが僕を完走させたがっているように思いました。

結果は39時間43分でした。何もかもがギリギリ。でも翌年2023年1月はじまるPBPプレレジストリは1000km以上走破者の次の優先登録が可能になり、プレレジストリだけは可能な状態になりました。

Super Randonner

2023年。完走しやすいブルベで最短でSRを取得するにはどうするか?を考えました。

2023年度のブルベが出揃って、データベースを睨めっこした結果、最短取得が4/22の埼玉600アタック二本松であることがわかりました。

2022年10月の600km以降、冬の期間を挟み、走り込みをおろそかにしていた僕はワンイチや200km、300kmのブルベで走力を戻しつつありました。

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そして一番難しいとされる初めての400kmブルベ。BRM318千葉400。この日は雨の予報でした。

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しかし、これまで晴天でコンディションが良いブルベにばかり参加していた為、悪天候のブルベを経験しておく必要があると思い、出走しました。

雨天であればDNSするのは定石だと思うのですが、PBP本番、雨が降ったくらいでDNSしたくないだろうと思ったのです。

結果は25時間34分悪天候の中とはいえ、完走者の中では下から3番目か4番目くらいのゴールでした。

ブルベはレースじゃない。競争ではない。そうは言ってもPBPの日本人完走率50%ということを考えると、少なくとも国内ブルベでは上位に入る走力を持っていないと完走できないと考えました。

 

そこからだんだんと「SRを取ることはPBPに行く最低条件なのであって、PBP完走はもっと遠い場所にあるんじゃないか」と考えるようになったのです。

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この考えに至ってからは色々と試すようになりました。

PBPは1200km90時間のブルベ。およそ4日で300kmを4回やるブルベという意識から400kmを3回やるブルベと認識を改め、400で色々と試行錯誤をするようになります。

結果ぐるっと房総ではホテルで寝過ぎてしまいDNFをすることになったりします。

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しかし、その数週間後、眠気と戦いながらもなんとか600kmを走り、辛くもSRを取得。しかしこの時点でSRに対する思いは特になくなっていました。

PBPの完走を思えばSRはただの通過点であったからです。

BRM400を研究する日々

それからはとにかく400のことばかり考えていました。

ランブイエからスタートしてルデアックまで435km。このルデアックまでの区間を24時間以内に走り切ることが最初の目標であり完走の必達ラインと考え、国内400を24時間以内に完走すること、夜スタートのブルベを理解することを目的にBRM520たまがわ400石廊崎にエントリーしました。

アップダウンが続く伊豆半島、夜スタートという点でルデアックまでの道のりに近いのではと考えましたが、案の定アップダウンによる疲労と眠気に勝てず結果は25時間53分と雨天の400より酷い有様。

しかしそこで走り方や睡魔との戦い方を調整し、翌週BRM527たまがわ400金精峠では23時間31分となんとか24時間切りを達成。

もちろんルートやコースによって完走タイムのボリュームゾーンが違うので、一概にこれでどうこう語ることはできないのですが、少なくとも自信には繋がりました。

SR600 Fuji

400kmを24時間以内で走り切ったので少し自信はついたのですが、僕はこれまで600km以上、あるいは40時間以上走行したことがありませんでした。

その為、登坂力を鍛えるために制限時間60時間のSR600 Fujiを走ることにしました。

 

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しかし結果は惨敗。せめて48時間以上走らないと経験にならないのに、45時間ほどでリタイアとなってしまいました(DNFを決めたのは38時間くらいでした)。

ですがこの時の役に立たないと思っていたこの経験はのちにPBP復路Loudéacで活きることになります

PBP出走

あっという間に時はたち、体調も万全てないまま8/18予定通り旅客機は空を飛び、14時間の旅を経てフランスの地に降り立ちました。

翌19日前日受付。

トラブルなく備品の受け取りを済ませ、ホテルへと戻ります。

 

出走当日、なんだか実感のないままスタートライン、ランブイエを20日19時にブレストに向けて出走しました。

 

走行中の補給は日本のようにはうまくいかず、エネルギーの低下を招きました。日中30度を超える暑さも相まってせっかく食べだ補給食も消化に時間がかかり腹痛を患っていました。

国内ではただの一度として服用したことのない胃薬を飲み込み、どうにかこうにか走り続けます。

しかし幸いにも新型コロナウイルス罹患の影響はほとんどなかったと思います。

アップダウンを基本としたコース

事前情報の通り、1200km中1000kmがアップダウンでした。しかしそのアップダウンも一部区間を除きそこまで恐れるようなヒルクライムは多くありませんでした。したがって僕に課せられたのはとにかく全力で登らないこと、我慢を絶やさないことでした。それによってグロス速度は落ちてしまいますが大丈夫想定通りだ。

 

それでも折り返しブレストから復路カレの間の90kmは予想以上に厳しいアップダウンが待っていました。斜度6〜8%の登りが2〜300m間隔で襲いかかります。

 

ここでSR600 Fujiの苦い経験が活きてきます。

あの時へとへとになって、ちっとも前に進まなかった坂道。たった5%の坂も全然進まなかった。でも今は前に進んでいる。まだ疲れていないまだ進めると自分を元気づけることができたのです。

ドロップバッグの罠

予想以上と言えばドロップバッグによる荷物の入れ替えも想定以上の時間がかかってしまいました

ドロップバッグは復路780km地点にあるルデアックという街のコントロールにありますが、結局ここで50分の借金を追うことになってしまいました。

順調にコトが運んでいるように見えて、たくさんの困難とたくさんの不測の事態があり、細かいミスがどんどん自分の体力と残り時間を削っていました。

なぜPBPなのか

たった1年前、200kmのブルベに何度も躓いていた自分が1200kmを走破するまでの物語はここで終幕となります。

ここまで走ってきてなぜPBPなのか、答えは出ていません。

ブルベの最高峰だから?今まで走ったことのない距離だから?自転車の祖国フランスだから?現存する最古の自転車イベントだから?すべてYesでありすべてNoでもあります。

 

いずれにせよ、この最高の夢の舞台を用意してくださったAudax Club Parisien、運営ボランティアのみなさん、一緒に走ってくださったランドナーのみなさんに感謝を申し上げます。

 

本当に楽しい90時間を過ごすことができました。この90時間は僕の人生を語る上で外すことができない90時間となったことでしょう。

 

PBP走行記もラストスパート。残り120km、復路モルターニュから最終日がスタートします。

それでは今日はこのあたりで。