PBPで散財する技術(かかった費用公開)

こんにちは、shuheiです。

総評記事も4つ目です。全然総評できてないことに気づきましたが、今日はみんな大好きお金の話なので是非最後までご覧いただけたらと思います。

それでは本日もよろしくお願いします。

筆者のスペック

年齢: 38歳
性別:
身長/体重: 173cm / 62〜64kg
体脂肪率: 18〜20%

 

ロードバイク歴: 約5年
2022年年間走行距離: 3,509km
19th Mt.富士ヒルクライム: 1時間50分27秒
2023BRM1211東京200弁天橋: 12時間27分
2023BRM311埼玉300常陸: 16時間6分
2023BRM318千葉400Go!白河: 25時間34分
2023BRM422埼玉600アタック二本松: 38時間34分

今日は走りについては特に言及しないのでスペック晒す意味あんまないんですけど、お約束なので掲載しますね。2024年の目標はSR600と富士ヒルブロンズかって思うといっぱい坂登らないといけないんですね。辛い。

 

では、早速ですがPBPにかかった全費用を洗い出します。

ただし、僕の場合いくつか特殊な例もあるので、その辺りは適宜読み替えてもらえればと思います。

 

尚、ユーロ支払いのものについては、換金時レートも付記します。

クレジットカードでの支払いについては、請求時の日本円を換金時レートとしています。

PBPエントリーフィー関連

プレレジストリ: 50EUR (7,388JPY)
レジストリ: 140EUR(21,967JPY)

まずはレジストレーション、出走登録をしないと何も始まりません。

shuinout.hatenablog.jp

僕は2022年10月に600kmのブルベを完走していた為、2023年1月28日から2番目の優先順位でプレレジストレリできました。この時、まず50EURPayPalで支払います。

そこから半年間かけてSRを取得し、5月27日に本レジストリが開始され190EUR支払いますが、プレレジで支払っている50EURを差し引いて請求されるので実質140EURを追加で支払っています。前金みたいに考えてもらえればと思います。

実際には記念ジャージや小冊子などのオプションを追加しているのでトータルで140+100EURを本レジのタイミングで支払っています。

渡航

航空券代: 333,000JPY
往路バイク輸送費: 100USD(14,590JPY)
復路バイク輸送費: 100EUR(16,065JPY)

今回の旅費で最もウェイトを占めた費用です。

僕自身2度目の海外旅行、自転車を海外に持っていくのも初めてで、日程的にも出走2日前に到着するギリギリの日程だった為、ロストバゲージやバイクの破損が怖かったので直行便を選択しました。

羽田発、シャルル・ド・ゴール着のエールフランス航空の便を選んだのですが、エールフランスは自転車の輸送がサイズに関係なく入国時100USD、出国時100EURが掛かります。

また事前に連絡が必要でそのやりとりはFacebookのMessangerアプリを利用して日本語でやり取りをしました。

wwws.airfrance.co.jp

どうせ追加料金になるので容量やサイズを気にする必要がなくてその意味では気が楽でしたが、事前申告がちゃんとできているかはかなり不安でした(結果大丈夫だったので杞憂だったのですが)。

バイクも破損することなく無事渡仏できましたし帰国も問題ありませんでした。

ですが、同じエールフランス航空の前日深夜便を利用した方の中で派手にチェーンリングをやられた方がいたり大小トラブルはあったようです。同じケース、同じパッキングでも問題ない人も大勢いるので運が悪いと結構重大な事故が起こってしまうようです。ちなみにその方はランブイエのショップで修理し、無事完走されておりました。良かった良かった。

宿泊費

羽田空港渡航前日1泊: 8,404JPY
サン=カンタン=アンイヴリーヌ3泊朝食付き: 68,786JPY
モンパルナス2泊朝食付き: 31,710JPY

サン=カンタンは出走前の8/18-21まで、モンパルナスは出走後の8/24-26までのブッキングです。フランスでは宿泊税が必要になりますが、こちらも含まれた金額を掲載しています。

今回、サン=カンタンではExpedia、モンパルナスではHISを利用して予約しているので、見ている金額も支払った通貨もJPYでの記載でした。

 

PBP出走日が8/20なのにサン=カンタンのホテルを8/21までにしているのは夜出走に備えて15時までホテルで仮眠する狙いがあったのですが、チェックアウトするからとホテルの人に伝えた時の「え?明日までだよ?」みたいなリアクションに説明するのが大変でした。この辺り事前にメールなどでやりとりしておくといいかもしれません。もしかしたら出走日のチェックアウト時間を遅らせてもらえたかもよ。

 

また、中にはフランスにいる時間通しで部屋を抑えて、バイクケースやスーツケースなどを置いたりDNF時の避難先にしておく方もいたようですが、今回僕は日本から友人が観光で渡仏していて、出走前日と当日に荷物を預かってもらっていたので部屋は抑えませんでした。友に感謝。

 

さらにこの金額は一緒にPBP出走する友人と泊まった為、実際にはここから宿代を折半しましたが、海外だと宿泊人数によって宿泊料が変わったりせず部屋代として取られるので(朝食や宿泊税は当然人数分だけど)目安としてはこんなものかなと思います。

ただもっと早くに予約をするとか、3人で部屋を抑えるなど費用を抑える手段はあったと思います。

 

また渡仏前日は羽田空港付近のホテルに前泊しました。こちらのみ1人で宿泊。出国日6時に羽田空港第3ターミナルに確実に到着していたかった為です。こちらもリスク許容度や住んでいる地域によって上下する部分です。

タクシー代

CDG空港→サン=カンタン=アン=イヴリーヌ: 29,326JPY
ホテル→ベストウェスタン往復: 27.70EUR(4,477JPY)
サン=カンタン=アン=イヴリーヌ駅→ベストウェスタン往復: 26.28EUR(4,330JPY)
モンパルナス→CDG空港: 108.13EUR(17,476JPY)

タクシーは結構使いました。空港からホテルの往復はバイクケースを持って一番治安の不安な空港付近とパリ市街地を移動したくなかったのと、できる限り体力を温存したかったからです。

またドロップバッグの預けと受け取りで両方ともタクシーを利用しています。これも体力の温存が理由ですが、距離的には自転車や電動キックボードでも良かったですね。

 

今回タクシーのトラブルがかなり多くて困りました。予約したのに指定の場所に来ていない、配車されない、合流がなかなかできない、指定の場所に行ってくれないなど。なるべくタクシーを使わない方がストレスは少なかったかもしれません。

こちらも基本相棒となっていたので表示金額からは折半しています。

フランス国鉄N線電車代

トラップ→ランブイエ往復: 7.80EUR(1,261JPY)
サンカンタン→ランブイエ: 3.90EUR(630JPY)
ランブイエ→モンパルナス: 5.00EUR(804JPY)
モンパルナス→サンカンタン往復: 10.00EUR(1,608JPY)

N線はスタートランブイエとホテルがあるトラップとゴール後のホテルがあるモンパルナスを繋ぐパリのローカル線です。

日本の電車と違い、自転車もそのまま持ち込めます。便利。

電動キックボードTIER

サン=カンタン=アン=イヴリーヌ市街地周遊: 11.79EUR(1,894JPY)

TIERはパリで普及している電動キックボードです。日本でも普及し始めているLUUPとほとんど同様のサービスで、都内でもよく利用しているのであまり苦労せず利用できました。まあ利用者のマナーが悪く、日本でもフランスでも自転車乗りからはめちゃくちゃ煙たがられてるので悲しいですが……。

主にサン=カンタン=アン=イヴリーヌ市街地の移動で利用していました。トータル6kmほど移動してます。

食費

8/19 昼食Café de la Gare: 約20EUR
8/19 カフェPasta et Dolce: 6.60EUR(1,067JPY)
8/19 夕食Pomme de Pain - La maison du sandwich: 11.00EUR(1,794JPY)
8/20 昼食Burger King: 8.70EUR(1,406JPY)
8/20 夕食Burger King: 8.80EUR(1,422JPY)
8/24 昼食Café de la Gare: 約20EUR

やはり基本的に日本と比較すると割高でしたが、味はどのお店もおいしく困ることはありませんでした。

19日と24日にランブイエ駅で寄ったレストランが割と好みです。

maps.app.goo.gl

金額はちょっと覚えておらずハンバーガーのセットとオランジーナで20EURくらいだったと思います。

コントロール・WP・私設エイド・道中のレストランでの出費

8/21支払い分: 44.30EUR(7,159JPY)
8/22支払い分: 48.90EUR(7,919JPY)
8/23支払い分: 53.00EUR(8,590JPY)
8/24支払い分: 19.6EUR(3,152JPY)
その他現金支払い: 114.00EUR

コントロールやWP、私設エイドで支払ったのは食事補給食仮眠室利用料です。明細を見てもどれがどれか全然わからないです。

仮眠室の利用料はコントロールによってさまざまで5〜8EURほどでした。

食事に関してもだいたい一回の支払いで10EUR前後のことがほとんどでした。パリのレストランと比べると安かったですね。

コントロールではクレジットカードが利用できましたが、最速はApple Payでした。日本ではQUIC Payの名前で通っていますが国内でQUIC Payが利用できていればフランスでも利用可能でした。

 

一方私設エイドは現金のみでした。

現金はどこでいくら払ったかまったく覚えていないのですが、空港で150EUR換金して帰国後の残金から114.00EUR利用していたことがわかりました。おそらく私設エイドでの食事や一部現金のみのレストランやコントロールのサービスで利用していたのだと思います。

今回旅費として計上しなかったもの

  • 優先エントリの為のブルベエントリーフィーや移動費と食費など
  • 2023SR取得のためのブルベエントリーフィーや移動費と食費など
  • PBPのために用意したバイクやパーツ等の機材費及びウェアなどの費用
  • 記念ジャージを含むウェアなどの購入費(公式反射ベストはエントリーフィーに含まれる)
  • 完走後の観光費用

合計金額

ここまで列挙したPBP完走までにかかった費用、合計は513,611JPYでした。

かなりの円安が進み、また世界的物価高が影響しましたがなんとか50万円程度で収めることができました。

今時50万円じゃミドルグレードの完成車も買えないので、まあ安いものですね。

渡仏期間中のレートはだいたい1ユーロ=160〜162円で、前回2019年8月が117〜118円だったので、とんでもない円安の中渡仏していたんですね。

 

次回2027年の8月、円相場がどうなっているか僕にはわかりませんが、だいたいの予算感は伝わったのではないでしょうか。

 

それでは今日はこのあたりで。

PBPを総評する技術(事前準備改善が必要なコト)

 

こんにちは、shuheiです。

今回もPBP2023の振り返り記事です。

この記事では事前の準備で間違ってしまったことや裏目に出たこと、もっとやっておけば良かったことなどを振り返ります。

それでは本日もよろしくお願いします。

筆者のスペック

年齢: 38歳
性別:
身長/体重: 173cm / 62〜64kg
体脂肪率: 18〜20%

 

ロードバイク歴: 約5年
2022年年間走行距離: 3,509km
19th Mt.富士ヒルクライム: 1時間50分27秒
2023BRM1211東京200弁天橋: 12時間27分
2023BRM311埼玉300常陸: 16時間6分
2023BRM318千葉400Go!白河: 25時間34分
2023BRM422埼玉600アタック二本松: 38時間34分

例によって僕の完走時のスペックを晒します。

PBP完走より富士ヒルブロンズって難しいんだなと実感した夏でした。

さて、では振り返っていきましょう。

補給食の準備

PBPでは普段の補給食がなかなか手に入りませんでした。日本からもいくつか持っていったのですが早々に尽きてしまったのです。

対策としては、サドルバッグやドロップバッグに日本から補給食を持っていくこと、そして世界的に普及しているSISの補給食に慣れておくことかなと思いました。

コントロールのバイクメンテナンスエリアでは自転車のパーツやジャージ、ヘルメットの他、補給食も取り扱いがありました。

しかしそのほとんどはあまり知らないメーカーのもの。唯一知っていたのはSISでした(もしかしたら僕が勉強不足なだけかもしれません)

SISはプロのロードレースでも利用されているので使い方を間違えなければ立派な補給食になるはずですが、いかんせん初めて見たので何を選んでいいかわからず、適当に買ってしまいました。

また、ジェルの補給食も少なく後述しますが胃が不調になってしまった時、補給ができなくて結構困りました。

レストランやカフェの事前調査

食事や睡眠などコントロールでやることはたくさんありますが、それらをコントロール外に外注していた方々はとにかく無駄なストップが圧倒的に少なかったように感じます。

走力のある人や経験のある人は柔軟に見つけたカフェやレストランで食事を摂っていたみたいですが、事前にルート上の目ぼしいレストランを探しておけば良かったです。

初めは調べるつもりでいたのですが、調べれば調べるほど本当に営業しているか不安になって計画に織り込むのはやめようと考えました。

数も膨大だし、そもそも国内ブルベでもPCや予め目星を付けたコンビニ以外で食事を摂ったことがほぼない為、計画への織り込み方が分からなかったのです。これはシンプルにランドナーとしての経験不足が露呈してしまいました。

胃腸トラブル対策

そんなわけで食事はもっぱらコントロールのバーで買ったサンドウィッチジャンボンばかりでした。これがまた硬くて硬くて、走りながら食べられるのは利点なのですが、なかなか消化できず、走っているうちに気持ち悪くなってしまう自体に陥りました。

暑さで水もガブガブ飲んでいたこともあり、胃液が薄まってしまったのだと推測しています。

これについての対策として、水を飲む時に一緒に味噌チューブなどを入れることで胃の中をいつも何か入っておく状態にしておくことをPBP中に参加者の日本人の方から教えていただきました。

ボディクリームによる皮膚擦れ対策

今回大きな問題になることはありませんでしたが、完走後ホテルでジャージを脱いでお尻を触ってみたら皮膚がゴワゴワになっているのがわかりました。

後日帰国後に薄いカサブタのようなものができていました。運が悪かったら走行中に皮膚が剥けてしまい、擦り傷となってシッティングフォームが取れなくなっていたかもしれません。

これまで多くのブルベでは不要でしたが、やはり1,200km。次回からはシャモワクリームなどの対策が必要そうです。

earth-blue.jp

みなさんこちらを利用している方が多かったようです。

シャワー対策

今回、着替えこそしましたが、走行期間中一度もシャワーを浴びることができませんでした。

シャワーを浴びるタイミングは3回あったかなと思いますが、それぞれ30分程度かかってしまうことを考えると、完走時間の87時間43分から追加で1時間30分加算することになり、ギリギリ間に合う可能性ありますが、なかなか危ないタイムになってしまっていました。

走っている感じ、走力自体はそこまでドベというわけではなかったと思うので、やはりコントロールでの時間の使い方が良くなかったのかなと思います。

 

もしくはドロップバッグにボディシートと流さないシャンプーなどを入れておくと良いかもしれません。

出走直前の食事

出走当日は9時にドロップバッグを預けて、ホテルに戻ってからはギリギリまで寝て、19時出走の2時間前に会場入りできるように準備してバイクを持って電車に乗るだけと思っていたのですが、お昼ご飯と夜ご飯のことをすっかり忘れていました。

このままでは出走して30分もしたらハンガーノックでDNFとなってしまいます。

これはまずいと、僕のホテルはトラップが最寄駅だったのですが、わざわざサン=カンタン=アン=イヴリーヌまで自転車で向かって、バーガーキングで昼食を調達しました。

バカンス中で日曜日ということもあってほとんどのレストランが営業していなかったのですが、マクドナルドとバーガーキングだけは営業していて本当に助かりました。

イートインで昼食を食べ、テイクアウトで出走直前に食べようと思って注文したのですが、間違ってテイクアウトを2つ注文してしまい、出走してからも当分バーガーを食べていました。

「それウマそうだね!」と走りながら英語で声をかけてもらってしまい少し恥ずかしい。

 

実は本レジストリの時に、出走直前のミールチケットを予約することができたのですが、2019年の情報ではかなり混んでいたり、予約したのに売り切れになってしまったりと行動が制限されるような気がしたので、予約しなかったんですよね。

ただ今回の参加者でミールチケットを持っていた方は概ね追加で1時間早く到着して時間帯によって少し並ぶ必要はあったみたいですが、滞りなく食事されていたようでした。

暑さ対策

過去2回の情報から、ルデアックから以西、とくに朝方とても寒いということを聞いていたので、直前でインナーの計画を変更し、モンベルでスーパーメリノウールEXP. ロングスリーブを3着購入して挑みましたが、想定外の暑さ。

特に日中は毎日30度越えの真夏日で、ルデアックのドロップバッグではフリースジャージを着たので、スーパーメリノウールは一旦アタックザックにしまって走っていました。

正直こればかりは仕方ないのですが、もう少し暑い状況に耐えられるような装備をドロップバッグに入れておけば良かったなと思いました。

一応、本当に暑かった時のことを考え、インナーを1枚スーパーメリノウールよりは薄手のファイントラック ウォームインナーロングをドロップバッグに入れてあったので、復路ルデアックでは急遽予定変更、少し涼しいウェアでリスタートしましたが、快適度が上がりました。

 

ただ、PBP完走して翌々日の土曜日、パリ観光のために自転車を午前中乗り回していましたが、あの5日間とは打って変わって完全に秋の気候。もう数日この気温になるのが早かったらやはりルデアックやブレストの朝方は震えながら走ることになっていたと思います。

ドロップバッグの所要時間

以前SR600 Fujiで初めてドロップバッグを使って、ウェアを着替えたり、バッテリーの交換をしたりということを経験したのですが、ドロップバッグでの装備入れ替えの訓練をしていなかった為、ルデアックでの滞在時間の見積もりが非常に甘いものになってしまいました。

往路は時間的にもある程度余裕があったので良かったのですが、復路は余裕がなくなっていて、オンタイムでの行動が求められていました。しかも復路ルデアックは僕の3日目の仮眠所。必然的に所要時間が長くなるにも関わらず、荷物の入れ替えに時間がかかってしまい、予定よりも50分も遅刻して出走することになり、あわや復路タンテニアックのクローズ時間を落としかねない状況にまで追い詰められていました。

 

そこで反省したドロップバッグ対策は以下3つです。

  • 事前に装備の入れ替えのテストを行い短時間で入れ替えられるように訓練をしておくこと
  • ルデアックの滞在時間を他コントロールより20分ほど多めに見積もること
  • 仮眠後は荷物をまとめてバイクに跨がればリスタートできる用意をしてから仮眠すること

特に最後の対策は事前準備なくできることなので徹底した方が良かったなと思います。

宿泊した宿について

実は初めはヴェルサイユAirbnbを利用して民泊を予約していたのですが、6月になって急に先方都合のキャンセルが入ってしまいました。

このタイミングでキャンセルされてもめぼしいホテルは全然見つからないのでは、と思って探してなんとかサン=カンタン=アン=イヴリーヌ駅とトラップ駅の間にあるなかなか良さそうなホテルを抑えることができました。

ラッキーではあったのですが、スーパーやレストランからは遠く、移動にはTIERという東京で言うとLUUPのような電動キックボードのレンタルサービスを利用して移動していました。パリ市民からの熱烈な反対を受けて撤去されることが決まっているそうですが……。2027年のPBPにはないかも。

www.tier.app

まあこれ自体は楽しかったから観光としては良かったのですが、やはり主要施設から近いホテルを押さえるに越したことはないかなと思います。

 

ただ、ドロップバッグの預け入れの日程を失念していて、もし当初の予定通りヴェルサイユの民泊のままだったら、出走当日午前9時のベストウェスタンに行って帰ってくるのもなかなか大変だったのかなと思います。結局タクシーを使ったのであんまり関係なかったのかもしれませんが。

どこまで準備しても完全にはならない

事前準備はかなり綿密に計画して用意した為、いずれも致命的なミスや準備不足はなかったかなと思いますが、あくまでも時間内に完走することだけを目的とした戦略なので、PBPを100%楽しむにはここからさらにいろんな準備が必要になってくると思います。ほとんどが走力のトレーニングになると思いますが。

 

次回は、みなさんお待ちかね、PBP2023の旅費の総額を集計しお伝えします。

ちょっと特殊なシチュエーションではあったのですが、次に参加する誰かの参考になれば嬉しいです。

それでは今日はこのあたりで。

PBPを総評する技術(事前準備良かったコト)

こんにちは、shuheiです。

現在PBPが終わってから一か月が経とうとしていまして、時の流れの速さをしみじみと感じる毎日を過ごしております。

前回の当日の総評でも先述したように、さほど強くも才能もない僕が、どのようにしてPBPを完走することができたのか、今日はPBP出走を決意した日から当日までどう過ごしてきたか、振り返りたいと思います。

shuinout.hatenablog.jp

それでは本日もよろしくお願いします。

僕のスペック

前回同様、基本的な体格や走力を事前にお伝えしておきます。

年齢: 38歳
性別:
身長/体重: 173cm / 62〜64kg
体脂肪率: 18〜20%

 

ロードバイク歴: 約5年
2022年年間走行距離: 3,509km
19th Mt.富士ヒルクライム: 1時間50分27秒
2023BRM1211東京200弁天橋: 12時間27分
2023BRM311埼玉300常陸: 16時間6分
2023BRM318千葉400Go!白河: 25時間34分
2023BRM422埼玉600アタック二本松: 38時間34分

ご覧のようにそんなに強くないです。

そんなわけで、2023年どのような準備をしたのか、今回は比較的うまくいったことを振り返っていきます。

徹底的な情報収集

これは誰もがある程度は行うことなのかもしれませんが、本当に徹底的に収集しました

PBPは現存するブルベの中で最も情報量が多く、攻略法から失敗談までたくさん見つかります。

またフィジカルギフテッドみたいな爆速ランドナーから、SR取得がやっとだったような人までさまざまな走力の視点での情報が手に入りました。

特に2015年のレポートと比較して2019年のレポートは情報量が圧倒的に増えていて、なんとなく2023年の日本人完走率はコンディション次第で大幅に上がるだろうなと予想していました。自分も完走率に貢献せねば。

 

PBPのことを調べるとまず目に入るのが、延々と続くアップダウンと寒暖差と補給の難しさについてです。また信号が少ないこと、トレインがたくさん走っていること、私設エイドがたくさんあること、ミスコースはしにくいことがわかります。

しかしそれらの度合いが分からず、結局どれくらいのタイム感で走ればいいのかが分かりませんでした。

 

そこで時間外完走やDNFした方の情報を収集し、徹底的に致命的なポイントを洗い出すことにし、それを潰すよう準備を進める作戦に出ました。

 

でも完走者も未完走者も、直接的な原因については記載があるのですが根本的な原因については記載がありませんでした。

直接的な原因は主に3点。

  • 眠気や疲労による遅れ
  • 体調不良に伴う補給ミス
  • 致命的なメカトラ

逆に純粋な走力不足であったり低体温症のような深刻な身体ダメージなどは事例としてあまり多くなかったことから、参加者のほとんどがあまりにひどい荒天でない限り10回走れば5回以上は完走できるようなブルベなのだと考えました。

徹底的な走行計画

上記の仮定を元に、いつも通り走行計画を立てました。

shuinout.hatenablog.jp

詳しくはこちらの走行計画編をご覧いただければと思いますが、結果から言うとDay2までの計画はもう少し区間速度を上げて計算しても良かったかなと思います。

またコントロールの滞在時間を甘く見積もりすぎていました。基本的に45分をベースに考えていましたが、せめてドロップバッグがあるルデアックの滞在時間はもう30〜60分多めに見積もる必要がありました。

 

とはいえ計画を立てたこと自体はやっておかなければ完走は無理でした。

特にコントロールの出発予定時刻だけを目安に動くことができたので、ブルベ中に余計な計算はしなくて済みました。

そうすることで目の前のやらないといけないことだけに集中することができたのです。

 

ただ、走行計画だけでは意味がありません。計画した通りに走れなければ意味がないからです。

色んな400kmブルベ

立てた計画の通りに走れるようになる為、SRを取得してから400kmブルベの練習ばかりしていました。

shuinout.hatenablog.jp

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それは435kmルデアックに24時間以内で到着する為で、それの達成はPBP完走に必須ではないもののかなり大きなアドバンテージになるタイムだったのです。

 

初めて走ったBRM408千葉400白河のタイムが25時間38分だった為、まずは400kmを24時間切ること、そして最終的には21時間台でゴールすることを目標にしました。

結局BRM722埼玉400白河(どちらの400も白河で紛らわしい)で22時間29分だったのですが途中ミスコースを連発し、10kmほど多く走ってしまったり、コース確認のため立ち止まったりしてしまったので、走力やタイムマネジメントの上ではルデアック24時間達成が現実的になってきました。

 

ただ、ここまで来ても眠気との戦い方に課題を感じていました。

夜スタートブルベ

前述のBRM722埼玉400でも、眠気に勝てず意識が飛んで落車してしまい、走行には何の支障も出なかったものの足を負傷する事態となってしまいました。

過去のPBPでも眠気を原因とする落車によるDNFの事例はたくさんあったし、何より5日間という長丁場を適当な仮眠で誤魔化しながら走行するのは2日で終わる400kmや600kmならまだしも1,200kmでは不可能でした。

 

その為まずはPBPと同様に夜スタートの400ブルベを走り、眠気が来るタイミングや仮眠の取り方、効率のいい仮眠方法などを試行錯誤し、以下のことが分かりました。

  • 本格的に眠たくなってからでは遅い
  • 本格的に眠くなったら15分以上の良質な仮眠が要る
  • 地面に横になると体温が奪われてしまう
  • 人が近くにいるような時はアイマスクと耳栓が必須
  • カフェインを飲んでから仮眠すると寝起きが良くなる
  • 仮眠後は人と会話することで脳が活性化し眠気がおさまる

PBPではこれらを意識して仮眠を取るようにしてましたが、それでもうまく捌き切ることはできませんでした。もっと走力があれば、しっかりまとまった時間寝ることができるのですが……。

SR600 Fuji

shuinout.hatenablog.jp

PBPを出走するまで3日以上のブルベを走ったことがなかった為、3日目の走行状態のデータを取る目的で7月の三連休でSR600 Fujiを走りました。しかし結果はこの記事の通り2日目でDNF、目的の3日目のデータは取れなかったので完全失敗なのですが、初めて体力を使い切ったと感じたライドでした。

その為PBP中、特に復路カレや復路モルターニュまでの激坂区間でも、体力の限界に達していないことを判断できました。

ある種のストレステストができたので、体力の限界が来たらこうなるぞ、という経験が直前にあったのは助かりました。

限界でないことが分かったとして坂が楽になるわけではないのですが、今の走りが間違ってないことが分かるだけで腐らないで済んだなと思っています。自分の限界を知るのって本当に大切です。

PBPを想定したシミュレーションライド

信号がなく、アップダウンが激しく、夜スタートで昼も夜も常に誰かと走れるPBPの環境を日本で再現するのは非常に難しいので、それぞれの特徴に近いルートを経験しようとなるべく毎週末走るようにしていました。

  • PBPのルートに似ていると言われた尾根幹
  • キツめのヒルクライムを含んだロングライド
  • 100km休憩なしで走るシミュレーション
  • 夜スタートのブルベの参加

いわゆるFTP向上を見込んだトレーニングではなく、グロス20km/hで走り続ける為にどこで頑張ってどこで手を抜くかみたいなバランス感覚を掴む為のトレーニングとして実施していました。

インターバルトレーニング

ヒルクライムが大の苦手なので、アップダウンが続くPBPでは心肺機能の向上が必須でした。

ただVo2MAXを向上させるというよりは高強度と低強度を繰り返しても、心拍数を安定させられるように慣れさせるという意味が強かったです。

結果的に平坦25km/hくらいで走行している僕でも登り1〜3%、500mくらいの登りを15km/h前後で登りつつ、降りを30〜35km/hで回して35km/h以上になったら足を止めるというような走り方でも息が上がらないようにコントロールして走ることができました。

防水防寒対策

結果的に今回のPBPでは不要でしたが、これは用意しておいて間違いありませんでした。

  • ゴアテックスのレインウェア上下
  • 裏起毛の防水グローブ
  • 靴用ビニール袋
  • ハーフシューズカバー
  • メリノウールインナー
  • ネックウォーマー
  • エストウォーマー
  • 裏起毛サイクルウェア上下

ただ意外だったのは真冬用のフリースビブタイツよりも、夏用のビブショーツの下に裏起毛のロングタイツを履いた方が暖かかったこと。フリースビブタイツ引退かも……。

アルコールカフェイン断ち

運動能力や睡眠の質の低下に繋がるアルコールを8/5を最後に断ちました。またカフェインについては7/22の400kmブルベを最後に断っています。

これはカフェインもアルコール同様、質の高い睡眠の妨げになることと、ブルベ中の眠気対策としてのコーヒー摂取の効果を最大限高める為です。

効果は絶大で、ここぞという時にコーヒーを飲んで仮眠した後はそれなりに覚醒することができました。ただ問題はPBP中、そんなに都合よくホットコーヒーが手に入らないことでしたが。

常備薬

普段からブルベに限らずエマージェンシーセットを常備しています。中には絆創膏、ダクトテープ、タイラップ、ロキソニンが入っていますが、今回薬剤師の方に相談をして、ロキソニンSガスター10を常備薬として持つことにしました。

ブルベ中の体の不具合のうち、投薬で対処しやすいのは身体の痛みと胃腸の不調です。

僕は腸はそんなに強くないですが胃はそれなり強く、胃薬を飲んだことはなかったのですが、今回初めて飲んだほど不具合に悩まされました。薬はそこまで嵩張らないので、思いついたものは持っていって良いと思います。使う機会はありませんでしたが正露丸もあれば腹痛対策になったかもと思いました。

日焼け止め

毎朝日焼け止めは塗り直していました。日焼けは軽度の火傷なので、放っておくとそちらの回復に体力が使われてしまい走行に影響が出ます。

ちなみに僕は夏でも長袖ロングビブで首から下は完全ガード。顔も普段はフェイスカバーアイウェアUVカットしていますが、このフェイスカバーは眠気と戦うことになるブルベだと、酸素が不足して眠気が促進するので使えません(あと7〜8%超えるような峠も流石に呼吸が苦しくなる為使えません)。

その為、PBP中はWAKO'Sの日焼け止めを使っていました。この日焼け止め、一般に2〜3時間ごとの塗り直しが不要なのでとても重宝しています。落とすのに専用のクレンジングが必要なのですが、PBP中は流石に使うことできませんでしたので朝に塗り直しで対応します。

AudaxJapan公式PBP記念ジャージ

www.onyone.co.jp

オンヨネ製のPBPジャージを着て走っていると、描かれた日の丸で日本人であることが周りのライダーにも伝わるので、他の日本人ランドナーから声を掛けてもらえました

朝方、最高に眠い時、何度も声をかけていただいたおかげで完走できたと言っても過言ではありません。オンヨネのビブのパッドもさすがPBP記念ジャージというだけあってロングライド向きのフッカフカパッドが付いていました。オススメです。

直前のバイクメンテナンス

PBP出場を決意してから、普段お世話になっているショップにも意向を伝え、さまざまなサポートをしていただきました。走行中も不定期ながら近況を連絡すると、対策やアドバイスなど、激励の言葉で勇気づけてくださいました。

そんなショップに出国直前でメンテナンスをお願いし、最終点検をしてもらいました。

事前に自分でタイヤとチューブを交換しておいたのですが、こちらもパンク対策として有効かなと思います。

おかげでメカトラに悩まされることなく、ノートラブルで完走できました。

常に笑顔を

そして案外大事なこと。どちらかと言うと準備ではなく走行時のことですが、常に笑顔でいることを心掛けました。

特に辛い時こそ笑顔。

もちろんメンタル的なこともあるのですが、笑顔で口角が上がることによって酸素の取り込み量が上がるんですよね。

キツいからと下を向いたり息を切らしてしまうと吸い込む酸素が減ってしまい、体内に酸素が回らなくなり、身体が仕事しなくなってしまいます。

また新鮮な酸素をたくさん吸い込むには肺の中がなるべく空っぽになっていないといけませんが息が上がると呼吸が浅くなりがちで吐き出せなかった二酸化炭素が邪魔をして酸素の取り込み量が減ってしまい、やはり身体中が酸素不足に陥ります。

笑顔で深く力を抜いて呼吸をすることで酸素がたくさん取り込まれます。当然メンタル的にポジティブになることで運動パフォーマンスも向上します。

ちなみにもっと酸素が必要な時は眉を上げてください。鼻腔が広がりさらに呼吸の効率が上がります。

事前準備を完璧にすること

ブルベはトラブルを楽しむもの。臨機応変に対応し、完走を目指すことこそがランドナーとしての本当の強さの証明でもあると思います。

ただ今回僕は何が何でも完走を全てに優先しました。

面白くないことかもしれませんが、完走をする為に国内でできることは完璧に済ませて、当日は計画通りにものごとをこなすだけの状態にしました。

決まったことを決まった通りに、目の前の課題に集中し取り組む、そしてそれができる環境を整えることがPBPに限らずあらゆる目標達成のアプローチ法として有効な手段だと思います。

 

次回はそんな完璧と思えた計画ですが、裏目に出てしまったこと、やれば良かったこと、間違えてしまったことなど、改善が必要な事をまとめます。

 

それでは今日はこのあたりで。

PBPを総評する技術(当日の振り返り)

こんにちは、shuheiです。

先日、4年に1度開催されるブルベの祭典、Pairs-Brest-Pairs Randonner2023に出走し、87時間43分で無事完走する事ができました。

この記事では事前にどんな戦略を立て、どんな装備で、どんな走行で完走する事ができたのか。また、事前の計画と実際の走行でどれくらいの差異があったか、何が良くて何が悪かったかなど、総評とともに振り返りをしたいと思います。

それでは本日もよろしくお願いします。

何故完走できたのか?

総評の前に、まず僕の出走時の情報をお伝えしておきます。

年齢: 38歳
性別:
身長/体重: 173cm / 62〜64kg
体脂肪率: 18〜20%

 

また、走力の参考にこちらも載せておきます。

ロードバイク歴: 約5年
2022年年間走行距離: 3,509km
19th Mt.富士ヒルクライム: 1時間50分27秒
2023BRM1211東京200弁天橋: 12時間27分
2023BRM311埼玉300常陸: 16時間6分
2023BRM318千葉400Go!白河: 25時間34分
2023BRM422埼玉600アタック二本松: 38時間34分

 

ご覧の通り、特別アスリート的な体型をしているわけではないですし、走力もブルベをコンスタントに出走している人たちからすると並かやや低いくらい。

ヒルクライムに至ってはかなり低く、富士ヒル年代別の偏差値は45でした。

 

ではこんな僕がなぜPBPという日本人完走率68.5%のブルベを完走できたのか?

それはもうハッキリと運が良かったからです

 

PBPの沙汰も運次第、と言ってしまうと元も子もないような感じがしますが運が味方についた時、その運を活かすにはそれ相応の準備が整っている必要があります。

チャンスは掴める者の元に訪れる」は座右の銘のひとつでもあります。

では、そんな僕がこの一年、どんな戦略で準備をしたのか、次に走る誰かの参考になれば幸いです。

PBPのルートと特徴

まずはPBPのルートのおさらいです。

往路605.6km、復路618.6km、合計1,224.2km、累積標高8,559m、制限時間90時間というルートです。公式では累積標高12,000mほどでしたが、RWGPSではエベレスティングに到達しないくらいの標高でした。

コースのほとんどが街と街を繋ぐ広い農道のような道で、信号はほぼありません。交差点はラウンドアバウトで越えていきます。

道は良いところと悪いところが7:3くらい、悪いと言っても日本の林道のような荒れた道ではなく、微振動がくる程度のもので、これが直接の原因で落車に繋がることはなさそうでした。

車通りはほとんどなく、数kmで1台抜いたりすれ違ったりするかなくらいの頻度。

 

そして最大の特徴は斜度0%の区間がほとんどなかったことです。だいたいが1〜3%の登りあるいは下り、ただ例外的に610km〜735km地点くらいまでは6〜9%の登り坂が多かったです。

 

PC事情も国内ブルベと異なり、コンビニのレシートを受け取ったり、指定のオブジェクトの写真を撮ってくるようなものではなく、学校などの施設を利用した大掛かりなコントロールでブルベカードに直接サインをもらう形式です。

ルート上にも24時間営業のコンビニはなく、コントロールのレストランか売店で補給をするようなことも多いのですが、何しろ参加者が6,000人を超える規模になるのでコントロールからレストランまで数百m歩いたり列に10〜20分ほど並んだりとコントロールでの滞在時間が非常に長くなります。かなり効率よくサインだけもらったとして20分は最低でもかかります。休憩も兼ねて立ち寄る為、そこまでキビキビした動きは難しいのでだいたい40〜60分の滞在時間になることがほとんどでした。

 

あと特徴的なことといえば、トレインやパックが非常に多いことです。

国内ブルベだと、参加者が多いブルベであればPC1までトレインになって進んで、それ以降はほとんど単独走か多くて3人程度で、トレインを組むことはあまりないかなと思いますが、PBPでは常にどこかしらにトレインが走っていました。

特にコントロールを出発した直後は多かったです。

僕は前述の通り、登坂力が圧倒的に低いのでアップダウンが多いPBPではうまくトレインに乗れる時間が少なかったのですが、数百km単位でトレインを組んでいた人とそうでない人とでは完走タイムに5〜10時間ほど開きがあった印象です。

 

それを踏まえて、今回僕の各コントロールの到着時間を見てみましょう。

途中危ない部分もありましたが、すべてのコントロールをクローズタイム前に到着できていました。

この辺り、事前の計画とどれくらい差があったのか見てみましょう。

各コントロールの到着時刻と事前計画

shuinout.hatenablog.jp

詳しい走行計画は準備編のこちらの記事で言及していますが、改めて。

 

まず目標としたのは以下の3点。

  • 全てのコントロールのクローズ時間を守る
  • 435km地点ルデアックを27時間以内に出発すること
  • 606km地点ブレストに40時間で到着すること

また先述のようにコントロールやウェルカムポイント(WP)は広いので滞在時間を45分で計算、コントロール間のグロス速度はその間の累計斜度を鑑みて、時間が経つにつれて速度が落ちる前提で設定し、以下のように走行計画を立てました。

実はギリギリまで往路復路共にルデアックを仮眠所に考えていましたが(走行計画記事も往路ルデアックを仮眠所としています)往路は直前でルデアックの次のWP、482km地点のサン=ニコラ=デュ=ペルムに変更しました。

ルデアックは事前に荷物を送っておけるドロップバッグがある拠点なので、ここを仮眠所にすると着替えや荷物の入れ替えなどもできて便利ではあるのですが往路では少し到着が早い時間であることと、翌日ルデアック-ブレスト-ルデアックをすると走行距離が350kmとなり最も過酷なブレスト離脱と共に無理が生じてしまうと考えました。

実際それは当たっていて、3日目サン=ニコラ=デュ=ペルムを2:30頃出発し、ルデアックに戻ってきたのが23:30。302kmを21時間もかかっているので300kmブルベの制限時間が20時間であることと比較するとどれだけこの区間が過酷だったかがわかります。

 

以上を踏まえて実際の走行記録がこちらです。

一部記録していなかったり、通過となった為厳密に到着時刻がわからなかった場所もありますが、主要なコントロールは全て記録に残していました。

ちなみに記録の残し方は到着した時と出発したときにiPhoneで写真を撮ることで時刻を記録していますが、到着時刻についてはセンサーの時刻を採用しています。

コントロールでのタイムマネジメント

この数値を振り返るとほとんどのコントロールで予定していた滞在時間をオーバーしていることがわかります。ルデアックに関しては30〜50分もオーバーしています。ひどい。

とにかくコントロールで時間を取られるのですが、逆にいえば走らずに休憩していられる時間があるということでもあります。

僕のブルベの走行スタイルとして、ダーッと行ってしまってPCで多めの休憩をとってまたダーッと行くのが性に合っているので、そういう意味ではPBPのコントロールとは相性が良かったのかもしれません。

 

しかしこれでもコントロール内でタイムマネジメントはしていて、リスタート時間の10分前にはアラームが鳴るようセットし、アラームが鳴ったらバイクに戻って出発準備をするようにしていました。なのでぼーっとしていたら出発が遅くなってしまったというようなことはほとんどありませんでした。唯一復路ルデアックだけは例外的にもたついてしまったのですが。

 

あとはコントロールの駐輪場は自転車が溢れているので、自分の自転車がどこに行ったかわからなくなってしまうんですね。特に仮眠後などは時間も経っているし寝起きで寝る直前のこと思い出せなかったりするし。

そういうリスクを回避するために念の為AirTagを購入し、フロントホイールに取り付けておきました。

Garminスピードメーターのようですが、こちらはレックマウントプラスAirTag1-R+という商品です。

国内でも盗難時の所在確認や、飛行機輪行の際のロスバゲ対策にもなるので、お守りがてらつけておいても損はなさそうだなと思いました。

水と食料の補給について

コントロールではお皿に盛って提供してくれるレストランと、出来合いのサンドイッチやパンを売ってくれるバーの2種類がありました。

コントロールや時間帯にもよりますが、レストランはいつも並んでいるバーはたまに並んでいることが多かったです。482km地点サン=ニコラ=デュ=ペルムで深夜2時頃はほとんど並ばずにすぐに食事が提供されました。

ですが、様々な方の走行記録を見ていると、やはりコントロールで食事を摂らないことが時短に繋がるようでした。そのためにもルート上のどこにどんなレストランがあるかは可能な限り出国前に把握しておく必要がありました。

僕も一応調べはしたのですが、Googleマップで調べた店舗が実際に開店しているかわからなかったり、走行中常にGoogleマップを開きながら走っているわけではないので、見落としが心配だったり、コントロール前にレストランを見つけてもタイムアウトが怖くて(クローズタイムまで数時間猶予があっても)先にコントロールに行ってしまったりなど、うまく街のレストランを利用できませんでした。

正直このあたり街のレストランを上手に使えていたのはルーキーよりもPBP経験者の方だったように感じます。

 

特に、コントロールの前にレストランを見つけたけど先にサインが欲しくて先行し、コントロールを出た後にレストランに寄りたいなと思っても見つけられず街を出る羽目になったことが何回かあったので、この辺りは本当に難しいなという印象。

もしかしたら国内ブルベのようにコントロールで補給するのではなく、補給する街とコントロールの街を明確に切り分けて計画を立てた方がいいかもしれません。実際そのような参加者は多かったように思います。

 

そんな感じなので、だいたいメインの補給がサンドウィッチジャンボンになってしまい、30cmくらいあるフランスパンとハム(たまに野菜が入っていて幸せだった)をひたすら走りながらかじっていました。

しかしだんだん走行と吸収を同時に行えなくなってしまい、食べると気持ち悪くなっていきました。どうも暑さで水を飲みながらパンを食べて走っていたことで胃酸が水で薄まってしまったことが原因だったようです。

ただ国内ブルベでも日常生活でもたぶん一度もお世話になったことがない水無で飲めるガスター10を飲むとかなり落ち着きました。Day2とDay4で1回ずつ飲んでいますが、飲んだ後翌日まで吸収のことを心配しなくて済みました。

ただやはり食後1時間くらいは負荷をかけずに走るとか、休憩を取るとかこれだけのロングライドをするのなら気をつけた方がいいなと思いました。

 

国内ブルベと違ってゼリー系の補給もほとんど入手できなかったことも辛かったです。

補給食はレストランでもバーでもなく、バイクメンテナンスエリアにパーツと共に並んでいました。SISなど有名な補給食もあったのですが、ゼリー系補給食はこういうのしか見ませんでした。

チョコのチューブを吸っているだけのような気持ちになる補給食。本当に補給できているのか謎でした。探せばもっとちゃんとしたものあったのかな。

ちなみになぜか味だけはめちゃくちゃ豊富で、10種類くらいあったので飽きることはありませんでした。

 

途中参加者の方と胃腸の不調について相談したら、その方は水を飲んだら味噌チューブを吸うようにして、胃の中が空っぽにならないような対策をしていたとのことでした。

PBPに関連してブルベのことはたくさん勉強して、たくさん知識武装したつもりでいましたが、まだまだ知らないことあるんだなあとしみじみ自分の過信を嘆きました。

睡眠について

先ほどの実走記録を見返します。

オレンジ色の帯が入っているところが大きな仮眠ポイントとして設定した場所です。

ただここ以外でも往路モルターニュ=オー=ペルシュ、往路カレでは10〜20分ほどレストランで仮眠をしましたし、道端で座り込んだり草むらで横になって同じく10〜20分ほど仮眠を取った回数は数え切れません。

このオレンジ帯の箇所で基本的に仮眠所を利用していて、復路モルターニュ=オー=ペルシュだけレストランで仮眠を取りました。

往路ヴィレンヌ=ラ=ジュエル: 50分
往路サン=ニコラ=デュ=ペルム: 3時間
復路ルデアック: 2時間30分
復路モルターニュ=オー=ペルシュ: 1時間

こうやってみるとDay5、そりゃ眠くて眠くて大変だったでしょうねという気持ちに。多少時間的マージンあったのだからちゃんと仮眠所を使えば良かったなと。

おかげで運命的な出会いがあったり嬉しい出来事があったりしたので結果的に良かったなと思いますけども。

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中にはホテルを取ってシャワーも浴びて着替えもしてベッドでぐっすり眠った方もいたようなのですが、僕の場合だとそこまでリラックスしてしまうと翌日リスタートが切れないというか、ほどよい緊張感を睡眠時も保っていないと完走できないんじゃないかと思います。実際過去に400ブルベでホテル宿泊して闘志が削がれてDNFにつながってしまったことがありましたしね。

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まとめ

初参加のルーキーとしてはそれなりの立ち振る舞いが出来たのではないかと思います。

何箇所か危ないところもあったし、想定外のこともあったけども、要所要所は予定通りこなせていたかと思います。

とにかく遠くを見ないこと、次の目的地を目標タイムで到着することだけを考えて走っていたのが僕の特性には合っていたのだと思います。

それをするために、国内で事前に走行計画も含めあらゆる想定と計画を立てておくことが完走につながったのかなと思います。

 

さて、次回はこの走行を可能にした国内における事前準備についてまとめてみます。

それでは今日はこの辺りで。

PBPを完走する技術(帰国編)

こんにちは、shuheiです。

怪我もなく大きな障害もなく、無事にPBPを終えることができました。

shuinout.hatenablog.jp

ようやく自由になったので残りの時間はフランスを満喫してやろうと第二の本気を出しますが果たして……。

それでは本日もよろしくお願いします。

一路モンパルナスへ

これまで8/20の出走日を最後に宿無しでフランスを彷徨っていた僕は8/24から2泊、パリ市街地モンパルナスにあるカンパニール・モンパルナスにチェックインすべくランブイエ駅からN線に乗って移動開始。

本来ならサン=カンタン=アン=イヴリーヌ駅のベストウェスタン・サン=カンタン=アン=イヴリーヌでルデアックから回収されたドロップバッグの受け取りがあったのですが、予定は17:00〜18:00。まだ12時前でしたし、バイクも荷物になってしまうし、とにかく早くシャワーを浴びてスッキリしたかったので、先にモンパルナスのホテルにチェックインすることにしました。

その前にランブイエで前日受付の時と同じレストランで昼食。

スムーズにチェックインし、バイクは鍵のかかった中庭に置かせてもらいました。

バイクケースや着替えなどはこのホテルの別の部屋に泊まっている友人に預けてあったので回収して自室へ。

早速シャワーを浴びて、寝落ちしないように荷物の整理をしつつ16時頃、再びN線に乗ってサン=カンタン=アン=イヴリーヌに舞い戻りました。

 

無事ドロップバッグを受け取り、ホテルに戻ったところでようやくPBPのタスクが全て完了しました。

夜のパリ市街地

何日かぶりにまともな食事をする為にモンパルナスのレストランに友人と来て、約半月ぶりにお酒を飲みました。すっげーキマッてる感じがします。

街はどこを切り取ってもオシャレでストリートスナップが捗る捗る。

翌日は朝8時からオランジュリー美術館とルーヴル美術館を巡る約束をして自室に戻りました。

 

今度は鳴ったけど

7:00、iPhoneのアラームで目が覚めましたが体が全く動かない。動きたくない感じ。

前夜に「8時になってもロビーに降りてきてなかったら先に行って」と伝えてあったのでそのまま二度寝しました。

10時半頃、なんとか体を起こして歯を磨いて着替えをして。とりあえず出掛けるくらいの体力は回復したので、午後から予約していたルーヴル美術館まで電動キックボードで向かうことにしました。およそ3kmで30分以内で着きそう。

shuhei au Louvre

なんとか友人とも合流できたのですが起きてから何も食べてなかったので美術館のカフェで水とサンドイッチ・ジャンボンを。まだ食うかと思われるかもしれませんがたぶんパリで最も効率よく栄養を摂取できるセットなんですよねこれ。

食事を済ませたら改めて中へ。

とにかく王道のルートへ向かいました。

思っていたより彫刻も絵画も大きい。迫力があって楽しいです。特に彫刻がすごいですね。硬い石を掘って滑らかな布を表現してるの実物を見ると感動もひとしお。

モナリザは案外小さかったのがビックリしました。近くに展示されている他の絵画が大きすぎるんですけど。

モナリザは大人気だったのですが徐々に最前列に流れていく様子が初詣のように見えました。

 

モナリザエリアを抜けるとミュージアムショップがあり、日本へのお土産を物色。圧倒的モナリザ推しでもっとわかりやすい宗教画とかルーヴルピラミッドモチーフのものもあったらいいのになと思いつつもモナリザTシャツを買ってご機嫌。

ただ、2時間ほど美術館内を歩き回って疲れてしまいました。

 

その後友人と合流して修復中のノートルダム大聖堂を見に行って夜はセーヌ川ディナークルーズに参加しました。

ディナーショーもあって非常に良い、フランス最後の夜。

 

『オー・シャンゼリゼを歌ってもらった時は思わず泣きそうになってしまった。

 

まだ暗くならないのは散々フランスを自転車で走り回っていて知っていたのでライトアップされたルーヴル美術館を見に戻りました。

途中橋の上から夕焼けに染まるセーヌ川

ライトアップされたピラミッド。

 

これにて旅の終わりかあと思うと感慨深いけどちゃんと達成感もあって。

いやいや、明日の午前中もちゃんと観光の予定だった。

街の様子を見ながら歩いていたら友人たちと逸れてしまいましたが、街中でガーミンの広告が見れたからまあいいです。

凱旋ライド

翌朝8/25、ホテルで朝食を摂って、2日ぶりに自転車。自転車楽しいなあ。

日本からの友人たちは朝イチで空港に向かい一足早めに帰国します。

 

今日は凱旋ライド、と言いつつ渡仏してからPBP出走までパリ郊外にいたので凱旋でもなんでもないのですが。

モンパルナスからエッフェル塔に向かってコンコルド広場から石畳を抜け凱旋門を回り、シャンゼリゼ通りで念願のパリブレストを食すのが本日のミッション。

 

PBP中は暑くて大変でしたがこの日はものすごく涼しい。完全に秋の様相です。きっと2019年2015年のPBPはこれくらいの涼しさの中開催されたのでしょう。これなら夜間10度を下回るのも頷けます。

これでもかとパリの観光地を巡ります。

これくらいのペースでこれくらいのテンションで旅する自転車がなんだかんだいちばん好きです。

凱旋門前は1〜2%くらいの登り坂。ツールドフランス最終日ってここをあんな速度で走ってるの?意味わからなすぎる。

そして念願のパリブレスト

実は往路便の機内食で食べたらしいのだけど全然覚えてなかった……。

写真右上のやつね。

色々形もあるんですね。とにかくクリームをパイで挟んであったらいいのでしょうか。

ミッションコンプリート

フランスで課せられたミッションはこれにて全て完了。ホテルに戻ってパッキングをして、タクシーでシャルル・ド・ゴール空港で時間を潰します。

夢のような時間も終わりが近づいてきました。思い返せばあっという間。それもそのはず、ほとんど時間を自転車に乗っていたので笑

 

ロードバイクに乗り始めて5年、ブルベで初めて完走してから1年という短い期間ではありましたが、ひとつの結果を出せたことに大変満足しています。

PBP走行記、長くなりましたがここまでお読みいただきありがとうございました。

 

繰り返しになりますが、この夢の舞台を用意してくださったAudax Club Parisien、Audax Japan、ランドヌ東京、ランドヌール宮城、オダックス埼玉、AJ千葉、AJたまがわ、AR日本橋のスタッフのみなさん、Pairs-Brest-Pairs Randonner2023ボランティアスタッフのみなさん、各コントロールの街や私設エイドを用意してくれたみなさん、色んなブルベで一緒に走ってくださったランドナーのみなさん、多くの事前情報を提供してくださったブログ管理人やYouTuberのみなさん、最後の最後まで自転車のメンテナンスをしてくださったショップの店長、そして一緒にPBPを目指し、一緒に渡仏し、一緒に完走を果たしてくれた相棒のKTRさん、走行前後で支えてくれた日本の友人たち、本当にありがとうございました。

 

今日はこのあたりで。

PBPを完走する技術(Day5 Mortagne-au-Perche〜Rambouillet)

こんにちは、shuheiです。

PBP走行記、ついに最終回です。

それではよろしくお願いします。

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鳴らない電話

時刻は1:40。セットしたアラームがいつの間にか止まっていました。

ジャージのバックポケットに入れてバイブレーションに気づける配慮をしたつもりが、どうやら寝返りを打った際にロック画面に表示される停止ボタンを押して止めてしまったようです。

 

起床予定時刻は2:15。およそ30分早く目が覚めてしまったらしい。危なかった!とは当時思いませんでした。なんだよ、もっと寝れたのになんて呑気な事を考えながら外の様子を見て、雨が降っていないことを確認し、寝る前に丁寧に用意した防水系ウェアをサドルバッグにしまいます。

 

腹ごしらえのためにクタクタのパスタを食べながら事態の深刻さに気付いたのです。

これ、寝坊する世界線あったのでは?

 

PBP完走を阻む罠はたくさんありました。シンプルな走力不足、計画不足、寝不足、栄養不足、メカトラ、荒天、冷え、財布や自転車の盗難など。

あらゆる対策をしてこのPBPに臨みましたが寝坊のリスクだけは対策が限られる上、ブルベでない平時ですら発生するくらい頻度の高いリスク。

寝坊が原因で時間外完走となった事例はPBPに限らずあったため非常に恐れていました。

 

まさか、最終休息地でやらかすとは。

 

気づいてからは不測の事態がより一層怖くなってしまい、3時出発の予定でしたが20分ほど繰り上げてモルターニュを出発しました。

Stage10 最終コントロール

残すところ120kmGarminは既に1100kmを記録しています。制限時間まで残り10時間。ここまで来たら落としたくありません。

 

最終コントロールのドルーまでは77km。普段なら無補給で届く距離ですが、疲労も未知の領域であった為、40km先のSenonches(スノンシュ)という町を目標にして暗闇の中を進むことに。

 

ここからはもう厳しい登りはほとんどありませんでした。ただただ淡々と、なるべく一定の出力を維持して進むだけ。これまでもそうでしたがここからも一緒です。

事前に決めたことを決めた通りにこなす、人によってはつまらない態度だと思われるかもしれませんが、僕程度の走力ではこの走り方が精一杯です。

ただただ淡々と。徐々にパリとの距離を縮める。

 

しかし、先ほどのモルターニュでの仮眠が不十分だったのか、5日目となり疲労も限界に近いのか、4日目以上に睡魔が襲い掛かります。

5分程度道端で座り込んで目をつぶるくらいでは全然回復できませんでした。

 

時間的には幾分か余裕がある。

ここで15分、完全防水で10度までならこれだけで寝れるSOLのエスケーププロヴィヴィにくるまってガッツリ仮眠することにしました。

はっきり言ってモルターニュの食堂より寝心地いいです芝生だし。

今度はキッチリiPhoneのアラームで目が覚めました。少し寒さを感じたので常に所持していたウルトラライトダウンを着て荷物をまとめました。最後にダウンを脱いで体温が戻ったことを確認し出発。

 

ただ、それでも完全復活には程遠くさっきほどではないにしろ眠気でフラフラしながら走っていると、昨日と同じように日本からの参加者の方に声をかけて貰いました!

AJジャージすごい。これ着てなかったら本当に完走できてなかったと思う。

 

話を聞くとHグループとのことでMグループの僕より1時間半制限時間が早い。この時点で残り100km、7時間半ほど。SRを取ってこの場に立っている方々なら普段は余裕のタイムであってもここまで1120km走ってきて、ほとんどの人が睡眠不足で、もう一つコントロールがあってそこで最低でも20分はロスしてしまうことを考えると、諦めるほどではないがギリギリの戦いのようでした。

もちろん闘志は残っていて全然諦める気なんてなさそうでした。

 

共闘といこうじゃないか。

 

アップダウン続きだったPBPも緩やかな道になっていました。30km/h近い速度を維持しながらお互い集中力を切らさないように励まし合って走ります。本当にこの人に出会えて良かった。

 

この集中力のままドルーまで行けそうだ。

しかし先ほどのモルターニュでの出来事が頭をよぎりました。ここで予定外のことをして何か不測の事態が起きたら残距離的にも、残時間的にも取り返しがつかない。

僕は予定通りここで休みます。ごめんなさい。

はい!お気をつけて!

そのお方は明るく返してくださいました。

後々ちゃんと時間内完走されていることを知って今は安堵しています。

私設エイドSenonches 1144km 8/24 5:43

勝手に中継地にしていたスノンシュで運良く私設エイドを見つけました。あたりはまだ真っ暗、早朝だというのにスープと飲み物を振る舞ってくださって本当に感謝です。有料だったかな?ちょっと思い出せませんがここで補給できたのは本当に大きかったです。

 

少し温まってリスタート。

ここからはまた単独走でドルーまで残り35kmを走ります。おそらくこのペースなら予定していた8時よりだいぶ早く着けるはず、と思ったのも束の間。

単独だとやはりどんどん眠たくなってしまいます。

そこへ少し速めのトレインがやってきました。おそらく平坦で35km/hくらい、登りでもほとんど30km/hを下回らないマレーシアのチームが主体となった10人ほどのトレイン。

残り100kmを切っていたこともあり体と脳に喝を入れる目的で自分の足よりかなり速いこのトレインに乗ることにしました。

辺りは少しずつ明るくなり始め、フランスの地でPBP最後の夜が明けます。

このトレインについて行くのは結構しんどい、心拍もおそらく常に160を超えていそうですが、眠気はかなり抑えられています。

あくびをしながら疲労も睡眠不足を隠して、超高速パックにくらいつきます。平坦はなんとかなるけど登り坂がキツい。ルデアック以西の7〜8%の激坂じゃないけど1100kmを走って3〜4%の坂を30km/hで駆け上がるのは万年富士ヒルブルーリングの自分には無茶が過ぎる

 

とうとうこれ以上ついて行かれなくなり、30分ほど粘ったトレインを抜けました。またフッと眠気がやってきます。だいぶ巻いたしまた道端で寝ようかな、なんて考えていた時、後ろから「いやー、外国の選手は速いですねー」と声が!

PBPの神がいるとしたら、今回僕は導かれていたのかもしれない。自分の力ではどうにもできない時、あの時もあの時もあの時も、そして今も、奇跡が起きている。

「速いですねー、頑張ってついてきましたがとうとう千切れちゃいました」

このPBP中で唯一お名前を伺うことができたこの方はさかきさん。PBP完走経験のある超ベテランランドナーだ。

cleyera.org

 

このまま走っていたら眠気でどうしようもなくなっていたこと、ブレストで足を痛めてここまで来られたこと、飛行機輪行でチェーンリングがズタボロになってしまったこと、PBPやブルベの昔話、同じくGR IIIを持参されてたこと!

色んな話をさせていただきました。

 

今だからこそ言えますが、ここまでの5日間で初めて完走が見えた瞬間でした。

Dreux 1179km 8/24 7:45

ゴール前、最後のコントロールDreux(ドルー)に到着しました。残り45kmを確実に走り切る為に最後の食事をレストランで摂り、リスタート。

「このままゴールまでご一緒させてもらえないでしょうか?」

さかきさんにお願いし、一緒に走ってもらえる事になりました。眠気はある程度引いていましたがまだゴールまで2時間以上あり、単独走では不安がありました。

何より誰かとPBPを一緒に走れることが楽しくなっていました。

 

ここからランブイエまではPBP中、最もアップダウンの少ない区間。もはや速度も上げず淡々と20〜25km/hで走ります。

最後の区間で楽しそうにかっ飛ばす集団もいましたが、ここで無理に急いで30分早く到着しても意味はないし、怪我でもしたら元も子もありません。

怪我はともかく、パンクなど小さなトラブルもここまで来たら避けたい気持ちでした。

 

ドルーを出て30分ほど経ったのちに軽く雨が降りましたが、走行にはほとんど影響ありませんでした。当然レインウェアの出番もありませんでした。昨日までの雨予報は一体……。

どうせなら最後ずぶ濡れでゴールもアリだななんて思っていましたが、そんなことにはならなそうです。

 

いつの間にか木が生い茂って、森の中を走っていました。

さかきさんとこれはウイニングランですねなんて話しながら、それでもなるべくゴールを意識しないように努めていましたが、ここはランブイエの森。

まもなく左手に石垣が見えて、カーブを曲がった先に数メートルの石畳ののち、公園への入り口が見えてきました。

 

旅の終わり

緑色のゲートと記録センサー。

ここがゴールゲート。

でも観客はこの先200mほど先のピンク色のゲートにいるようでした。

早く辿り着きたい気持ちで前のめりで漕いでしまい、さかきさんの「ゴールゲートの写真が撮りたい」の声を聞き逃してしまいました。

せっかく60km近くご一緒できたのにゴールゲートを一緒にくぐれないという失礼をやらかす。これを最後にさかきさんとはフランスの地で再会は果たせませんでした。

 

白く長い砂利道。

沿道からたくさんの声をもらった。

ピンク色のゲートが近づいてくる。

ここが、旅の終わり。

 

1224.72km87時間43分31秒

Pairs-Brest-Pairs Randonner 2023。時間内認定完走達成

PBPを完走する技術(Episode. 0)

こんにちは、shuheiです。

ずっと夢見ていたパリブレストパリランドヌール2023。1200km90時間という制限時間内での完走は自転車乗りとして最高の目標のひとつでした。

それでは本日もよろしくお願いします。

Paris-Brest-Paris Randonner2023

2023年8月、4年に一度のブルベの祭典パリブレストパリランドヌール2023、通称PBPが開催されました。

前回大会2019年からコロナ禍を経て、第20回大会は8/20〜8/24で開催されました。

 

プロローグ

8/18早朝、羽田空港付近のホテルで目覚めました。喉にはまだ違和感が残っており、鎮痛剤とのど飴ともちろんマスクが手放せない体となっていました。

8/11金曜日、三連休の初日に発熱。翌12日土曜PCR検査をし、14日月曜、発熱から3日が経ち新型コロナウイルス感染が発覚しました。

38度を超える高熱、わずかに漏れる咳を必死で抑えながら小さな希望にすがりつくように出国準備を進めていました。

 

元々12日土曜に予定していた自転車の最終メンテナンスとパッキングをようやく平熱に戻った16日水曜に後ろ倒し、17日木曜日の夜都内の自宅を出発。この時点で不安はありましたがもう後には引けない気持ちがありました。

ブルベはメンタルを守る戦いだ。悪い方に考えても意味はない。

2度のDNF、3度目の正直

2022年冬、主要都市では新型コロナウイルスまん延防止等重点措置を繰り返す中、ランドヌ東京主催の200kmブルベがN2BRMとして開催されました。

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2022 BRM110東京200、そして2022 BRM313東京200花園(まん延防止等重点措置により同年7月に延期)ことごとくDNFでした。

しかし200kmブルベをどうしても諦めきれず、コロナ禍で1年延期した2021年に開催するはずだった200km100周年のブルベに参加するため、宮城に飛びます(新幹線だったけど)。

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3度目の出走にして初めて200kmブルベを時間内完走することができました。

 

この時、無謀にもこんなことを願ったのです。

「来年のPBP、チャンスがあるなら出てみたい」

 

そして、そのまま2022 BRM1008東京600奥日光にエントリーし出走を決めました。

初の600km

この頃R東京主催のブルベは全てN2BRMで、出走日も出走時間もある程度参加者が自由に選ぶことができました。その代わり、他の参加者に会うこともほとんどない、孤独な戦いとなったのです。

ルートミスや補給のミス、休憩のミス、仮眠も1時間、今まで起きたことのないメカトラなど散々な思いをして、それでも奇跡的に全ルート追い風、取り返しのつかないミスはない。全てが僕を完走させたがっているように思いました。

結果は39時間43分でした。何もかもがギリギリ。でも翌年2023年1月はじまるPBPプレレジストリは1000km以上走破者の次の優先登録が可能になり、プレレジストリだけは可能な状態になりました。

Super Randonner

2023年。完走しやすいブルベで最短でSRを取得するにはどうするか?を考えました。

2023年度のブルベが出揃って、データベースを睨めっこした結果、最短取得が4/22の埼玉600アタック二本松であることがわかりました。

2022年10月の600km以降、冬の期間を挟み、走り込みをおろそかにしていた僕はワンイチや200km、300kmのブルベで走力を戻しつつありました。

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そして一番難しいとされる初めての400kmブルベ。BRM318千葉400。この日は雨の予報でした。

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しかし、これまで晴天でコンディションが良いブルベにばかり参加していた為、悪天候のブルベを経験しておく必要があると思い、出走しました。

雨天であればDNSするのは定石だと思うのですが、PBP本番、雨が降ったくらいでDNSしたくないだろうと思ったのです。

結果は25時間34分悪天候の中とはいえ、完走者の中では下から3番目か4番目くらいのゴールでした。

ブルベはレースじゃない。競争ではない。そうは言ってもPBPの日本人完走率50%ということを考えると、少なくとも国内ブルベでは上位に入る走力を持っていないと完走できないと考えました。

 

そこからだんだんと「SRを取ることはPBPに行く最低条件なのであって、PBP完走はもっと遠い場所にあるんじゃないか」と考えるようになったのです。

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この考えに至ってからは色々と試すようになりました。

PBPは1200km90時間のブルベ。およそ4日で300kmを4回やるブルベという意識から400kmを3回やるブルベと認識を改め、400で色々と試行錯誤をするようになります。

結果ぐるっと房総ではホテルで寝過ぎてしまいDNFをすることになったりします。

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しかし、その数週間後、眠気と戦いながらもなんとか600kmを走り、辛くもSRを取得。しかしこの時点でSRに対する思いは特になくなっていました。

PBPの完走を思えばSRはただの通過点であったからです。

BRM400を研究する日々

それからはとにかく400のことばかり考えていました。

ランブイエからスタートしてルデアックまで435km。このルデアックまでの区間を24時間以内に走り切ることが最初の目標であり完走の必達ラインと考え、国内400を24時間以内に完走すること、夜スタートのブルベを理解することを目的にBRM520たまがわ400石廊崎にエントリーしました。

アップダウンが続く伊豆半島、夜スタートという点でルデアックまでの道のりに近いのではと考えましたが、案の定アップダウンによる疲労と眠気に勝てず結果は25時間53分と雨天の400より酷い有様。

しかしそこで走り方や睡魔との戦い方を調整し、翌週BRM527たまがわ400金精峠では23時間31分となんとか24時間切りを達成。

もちろんルートやコースによって完走タイムのボリュームゾーンが違うので、一概にこれでどうこう語ることはできないのですが、少なくとも自信には繋がりました。

SR600 Fuji

400kmを24時間以内で走り切ったので少し自信はついたのですが、僕はこれまで600km以上、あるいは40時間以上走行したことがありませんでした。

その為、登坂力を鍛えるために制限時間60時間のSR600 Fujiを走ることにしました。

 

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しかし結果は惨敗。せめて48時間以上走らないと経験にならないのに、45時間ほどでリタイアとなってしまいました(DNFを決めたのは38時間くらいでした)。

ですがこの時の役に立たないと思っていたこの経験はのちにPBP復路Loudéacで活きることになります

PBP出走

あっという間に時はたち、体調も万全てないまま8/18予定通り旅客機は空を飛び、14時間の旅を経てフランスの地に降り立ちました。

翌19日前日受付。

トラブルなく備品の受け取りを済ませ、ホテルへと戻ります。

 

出走当日、なんだか実感のないままスタートライン、ランブイエを20日19時にブレストに向けて出走しました。

 

走行中の補給は日本のようにはうまくいかず、エネルギーの低下を招きました。日中30度を超える暑さも相まってせっかく食べだ補給食も消化に時間がかかり腹痛を患っていました。

国内ではただの一度として服用したことのない胃薬を飲み込み、どうにかこうにか走り続けます。

しかし幸いにも新型コロナウイルス罹患の影響はほとんどなかったと思います。

アップダウンを基本としたコース

事前情報の通り、1200km中1000kmがアップダウンでした。しかしそのアップダウンも一部区間を除きそこまで恐れるようなヒルクライムは多くありませんでした。したがって僕に課せられたのはとにかく全力で登らないこと、我慢を絶やさないことでした。それによってグロス速度は落ちてしまいますが大丈夫想定通りだ。

 

それでも折り返しブレストから復路カレの間の90kmは予想以上に厳しいアップダウンが待っていました。斜度6〜8%の登りが2〜300m間隔で襲いかかります。

 

ここでSR600 Fujiの苦い経験が活きてきます。

あの時へとへとになって、ちっとも前に進まなかった坂道。たった5%の坂も全然進まなかった。でも今は前に進んでいる。まだ疲れていないまだ進めると自分を元気づけることができたのです。

ドロップバッグの罠

予想以上と言えばドロップバッグによる荷物の入れ替えも想定以上の時間がかかってしまいました

ドロップバッグは復路780km地点にあるルデアックという街のコントロールにありますが、結局ここで50分の借金を追うことになってしまいました。

順調にコトが運んでいるように見えて、たくさんの困難とたくさんの不測の事態があり、細かいミスがどんどん自分の体力と残り時間を削っていました。

なぜPBPなのか

たった1年前、200kmのブルベに何度も躓いていた自分が1200kmを走破するまでの物語はここで終幕となります。

ここまで走ってきてなぜPBPなのか、答えは出ていません。

ブルベの最高峰だから?今まで走ったことのない距離だから?自転車の祖国フランスだから?現存する最古の自転車イベントだから?すべてYesでありすべてNoでもあります。

 

いずれにせよ、この最高の夢の舞台を用意してくださったAudax Club Parisien、運営ボランティアのみなさん、一緒に走ってくださったランドナーのみなさんに感謝を申し上げます。

 

本当に楽しい90時間を過ごすことができました。この90時間は僕の人生を語る上で外すことができない90時間となったことでしょう。

 

PBP走行記もラストスパート。残り120km、復路モルターニュから最終日がスタートします。

それでは今日はこのあたりで。